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  タテヨコ企画 第37回公演
 
誰かの町
あるサラリーマンの死
ものがたり
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タテヨコ企画 第39回公演『誰かの町』 2021年3月24日(水)~28日(日)
 
■出演者(※=タテヨコ企画劇団員)
1.あなたの心に残る町は何処、またはどのような処でしょう?
2.その理由、またはエピソードなどをお聞かせください。
3.『誰かの町』公演にむけて、何か一言!
竹内宏樹(空間 悠々劇的)
1.台湾の台北

2.着いたその日に食べた鳥かカニにあたってしまい、次の日から観光も出来ず病院に行って帰国までホテルで寝て過ごす。
泣きたくなるほどの腹痛と言葉が通じない病院で本当に日本に帰れるのか不安でした。
いつかリベンジしたい町です。

3.こんなん状況下だからこそ、目一杯やらせて頂きます。



森啓一朗(東京タンバリン)
1.東京都某市。今住んでるトコ。

2.一人が二人になる決断をしたりとか、三人になるという恵みを授かったり、歯を入れたり免許を取ったり資格を失ったりそれが復活したり、重要な局面はおおよそそこで迎えたし、今後も上書きがそこで繰り返されるでしょう。そのうち二人に減り、いつかは一人になるまで、いるかしら。子供にとっての歴史の始まりでもあるので、延々と印象深いでしょう。しばらく。

3.タテヨコ企画には20年ぶりに訪れまして、懐かしさもあれば随分と街並みが変わったなと感じ入るところもあり。
町一つ、家族一組、人ひとり、単位の大小に関わらずすべてに歴史はあるし、あったでしょうから、お芝居の中では描かれない登場人物の「歴史」をしっかり背負って、『誰かの町』を歩きたいと思います。自由に。
辻川幸代(ニュアンサー)
1.生まれた町、埼玉県和光市、そして19歳まで住んでいた一軒家です。
細い、車も入れない私道の坂を上がった高台に建っていました。
雪が降ると急な坂すぎて、滑って滑って全然上れない。
高校生の妹は学生靴も靴下も脱いで、裸足で登って来たこと、これを書きながら思い出しました。
私の家の他に10軒くらい建っていて、お醤油を貸し借りするような昭和を絵に描いたようなご近所さんでした。


2.引っ越す時には、平坦な土地の綺麗な新居に住めるという喜びが強く、生まれた家にはあまり思い入れが無かったのですが、引っ越してからしばらくして、よく夢に出てきたんです。今でもたまに見ます。
現在その時に購入してくれた家族がそのまま住んでます、もう築56年なのに。
家の中に入りたいなー、叶わないけど。

その家は母の父親、私のお祖父ちゃんが娘の為にわざわざ森から木を切り製材し、埼玉まで運んできて建てた家でした。だから材木や骨組みもしっかりしていました。
器用だった父は、年月が経つと外壁を直したり内装の土壁を自分で全部塗ったりして大事にしていました。

あの頃には少し珍しいタイプの一軒家で、二階は二部屋あり、人に貸せるような形になっていました。
小学校の頃には実際に貸していて、だから二階に上がる外階段があり、玄関、キッチン、トイレもありました。

中学になって子供部屋として使うことを許され、妹と二人で、賃貸アパートのような気持ちで生活していた記憶があります。

高校時代には、二階から抜け出したり(外階段があるので、簡単に抜け出せました(笑)ギシギシいいましたが。)朝方帰ったり、友人を夜中招き入れたり、今考えるとよくやったなーと思います。
3.今回、家、家族、そしてそこに根付く日常が根っこにあり、ザ昭和の私としては共感する事が多々あります。
失って初めてわかる事、些細なことから大きな出来事も、とっても大切な想い出だし、そして意外に忘れてない。
だから、そんなことを考えさせて貰える今回の作品は、私にとってはとても幸せな時間です。
福永理未
1.小学二年から四年まで住んでいた九州の田舎町。

2.マムシがこわくて走って帰ったり、荷物持たされたり、ギャル言葉を最先端のおしゃれっ子から教わったり、秘密基地つくったりしてました。
心に残っている理由は、いちばん離れたくない時に、離れなくちゃいけなかったから、なのかな〜と思っています。

3.このような事態の中、公演をやろうと決めてくれたタテヨコ企画さま、ありがとうございます。
もちろん最後まで気を抜かず、どうかお客様にこの作品を生でお届けできるよう、がんばります!
『誰かの町』観終わった後に、誰かを思い出して、繋がっていること、感じてくれたら嬉しいです。ご来場お待ちしております。
市橋朝子※
1.豊島区の南大塚界隈です。幼稚園や小学校、自宅や駅、病院など色々。後楽園や茗荷谷、小石川植物園、護国寺や巣鴨駅までも坂の多い街でもあり、思うところが沢山あります。スーパーのレジ袋がまだ無い時代から母と八百屋や魚屋に行ったり、アルミのボールを持ってお豆腐屋さんで絹ごし豆腐を一丁おつかいに行ったり、昭和の下町っぽさがありました。

2.四谷怪談の舞台である雑司ヶ谷が近かったり、口裂け女の都市伝説が流行ったり、浮浪者や精神病者なのか水商売なのか判らない所謂気が違っているように見える人などの出現や噂などもあり、少しの恐怖と共に毎日がワンダーランド。セブンイレブンやマクドナルド、サンシャイン60などがオープンし、ガンダムプラモデルなんかも流行り、コカ・コーラのヨーヨーなども凄く当時流行ってました。幼稚園時代が一番好きだったので思い出が非常に沢山ありますがこの芝居と同様母がママさんバレーをやっていて夜の体育館へ行くのに真っ暗な小学校の校舎を通ったのを思い出しました。

3.コロナ禍の下、久々に創作が出来る事を大変有難く思います。
時代の変化や自分自身の加齢による心身の変化も受けて、
それでも今を生きていくためにも、ひとりでは出来ないこと、演劇を、
実行していくことの大切さをいまいちど噛みしめて、
少しでも楽しくなるようがんばります!
舘智子
1.別府。

2.なんだか、一目惚れ。
どこまでも広い空と緑豊かな山と青い海と温泉と。
自然の豊かさにずきゅんです。
老後に住みたい!!と叫びました。

3.1年ぶりのタテヨコ企画公演。
稽古はとても楽しい!ですが、飲み会のないタテヨコ企画は初めてです。
感染症対策をきちんとして、皆様に楽しい作品を届けることが出来ればとても嬉しいです!!
初めての配信もあります。
お楽しみに!!

久行志乃ぶ
1.広島市西区己斐上町
山の上の住宅地です。

2.私が、11歳から、18歳まで住んでた町です。今でも、両親、弟家族、従姉弟が住んでて、今となっては幸せな時間を過ごしたふるさとです。

3.まぁ、また、前回(亡者の時代)に続いて、大変な忙しい舞台になってます!(笑)
どこまで、演劇の可能性を広げられるのか。はたまた、タテヨコ企画、どこまでできるのか?!(笑)
ご期待下さい!!

加藤和彦※ 
1.地元、福島県の自分の生まれた町(月舘町)

2.18歳まで住んでいた町、今では東京生活の方が長くなってしまいましたが、多感な頃を過ごした町は今でも僕の原点です。

3.このような状況の中、人が集まって稽古ができていること自体が幸せ。
観てくれたお客様にも元気になってもらえるようなお芝居にしたいです!
西山竜一
1.岸の浦の松林

2.走り回り笑い時には泣いた幼年時代

3.To be or not to be, that is the question.


作・演出:横田修


1.大学のあった町。初めて一人暮らしを始めた場所ですね。演劇を始めたのもここでした。

2.寮の銭湯が早く閉まるので、稽古後に一人暮らしの先輩の部屋へ風呂を借りに行くのが恒例でした。お礼の缶ビールで乾杯して、楽しい時間でしたね。

3.今作は、過去三年の間に創った以下の作品たち(『あるサラリーマンの死』『三人の姉妹たち』『稽古前の時間、あるいは超能力に関するメモ』)で挑戦したことの集大成です。私たちが辿り着いた最前線を、この機会に是非ご覧ください。

 

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